どうも私は執着深い人間のようでして、別れた彼女、ならぬ、辞めた会社のお客様のフォローも大事に思っています。なぜって?せっかく投資していただくところまでかなり(この表現ってぬるっとしすぎて好きになれないものの、当時の営業担当者が好んで使った表現なので使うなら)「濃密な関係」になった訳です。出資申込書を出していただいたあとだってちゃんとそういうお付き合いをしないといけないと思っています。ええ、投資も恋愛も「騙したなら最後まで責任を持って騙し切る」べきなのです。もちろん、騙してはいないので、より誠実に対応をするのですが、中途半端はいけない、と言うところだけは相手に騙されたと思わせない最高の詐欺師から学ぶべきなのです。

そういう最高の詐欺師になりたい、のではないですよ(笑)誠心誠意、人との縁をとことん大事にするって言う意味でのスタンスで生きているので、お陰様で辞めた後も、お客様からお電話を頂くこともあり(もちろん、逆に、地の果てまで追いかけることもします。執念深いものでしてw)、そんな中、こんなご相談を頂戴したのです。
実は、最近、自社の自己勘定で投資していたとある投資先の未上場企業と連絡が取れなくなった。社内手続きとかを考えた場合、投資サイドはどうしたらいいのでしょう?
テレビのドラマでも最近ではそうそう「夜逃げ」なんてみた覚えがありません。そうですよね。90年台の不良債権問題の頃から法的に借金を返せなくなったら自己破産とか会社更生法に基づく会社整理とか、色々と「逃げなくてもいい」解決方法というのが整備されたので、実は逃げる必要がなくなったはず、なのです。まぁ、ドラマを作る方からすれば、単なる契約破棄でひたすら逃げ回るだけの夜逃げの逃避行よりも、法律に基づいた居直り劇、の方が調べやすいし作りやすいし、盛り上げやすいし、今時のリーガルサスペンスっぽいから受ける、と思っているのかも知れません。個人的には、この防犯カメラとSNSに張り巡らされた世界で、いかにして逃げ切ることが出来るのか、の方がより頭を使って心理的裏側をつくものになるから面白いと思うんですけどね。
ですが、もちろん、借金とか出資者からのプレッシャーという精神的な理由から逃げたい、というのは案外あるようでして、とあるご縁(なんて以前やっていたセカンダリーファンドでその投資持分を有することになった、くらいしか無いわけ)で知り合って、今は当時以上に(ほら、執念深いから、わ・た・し笑)懇意にしていただいているスタートアップ特化型のベンチャーファンドさん(と言ってわかるあなたは内部関係者ですw)で、投資先が20-30くらいあるとまぁ、数人が行方不明になる、らしいです。ある意味(私のように)真面目な性格なのだと思います。借りた金は耳揃えて返す(だから、返さず逃げるなんて、だめ、絶対)、出資してもらった資金だってちゃんとお返しする。契約関係から言えば正しいですし、でも、それが(こういった事業への出資・貸付から、飲み屋で知り合った個人的な借金まで)出来ない人が現実問題としては本当に多いのも確かです。でも、それが出来なかったら、まずはごめんなさいしてもいいんですよ。まぁ、ちょっとは怒られるかもしれませんがそんなのは一瞬で、あとはどうするか一緒になって考えればいいのであって、いなくなっちゃうとその相談すら出来なくて困るのです。
いずれにせよ、いなくなっちゃった、連絡が取れなくなったらどうしたらいいのでしょう。それを聞いて、投資資産を償却して0 として、忘れる、では絶対ダメで、まずは事実確認をする必要があります。その上で、他の債権者や株主と残った資産を差し押さえて資金化してその資金を債権者から優先順位に基づいて分配して会社を清算して終わるわけです。
その事実はどう証明?
でも、その事実ってどうやって確認出来るのでしょう。連絡が取れない、は、もしかして電話番号や所在地の変更通知を実はもらっていたけど見逃していて古い連絡先に連絡しているだけなのでは(ならいいけど、知らない間に住所変更等して移動していたら)?それともそこにいるけど電話回線が(知らない間にネズミがケーブルを食べてしまって物理的に)切れて繋がらないだけ(って、掛ける方が気づかないか?いや、今時は携帯ばかりだから固定電話を使わないのか?それとも、実は料金未払いのためのサービス停止のアナウンスだったりしないか)?色々と想定できます。となると、一番信ぴょう性の取れるものは、現場に行くこと、目で見て、ポストの中にどれだけのチラシや督促状か拾われずに入っているか確認し、ドアベルを鳴らして誰かいるか確認して、登記簿謄本を取ること、といった、第三者の恣意性を排除した情報に立ち返ること、ですね。
でも、いくらその現実が存在しても、その現場をどう評価するかは、案外みた人間の感受性、もしくは思い込みによるのも事実です。としたら、複数の人による事実確認とそのすり合わせでより客観視した事実というのを作る必要があります。
そうやって、主観を排して事実だけを抜き出して、そこから考えられる情報を演繹する作業が必要になるのです。
考えてみてください。まともな(ええ、モンペは自分がモンペと違う、と思っているかもしれませんが、上記を思えば主観でしかないので客観視は常に必要ですね)親が子供の言う事だけを鵜呑みにしないで(うちの子に限ってそんなことする訳がない、と言わずに)多面的に事実を把握するのと同じように、組織の上席というのは部下の言葉を聞かないし信じない(けどネットニュースと友達の噂話、あとは外部の権威とやらの薄っぺらい奴には信用する)し、ネガティブなところから評価する生き物です。曰く、批評的になることは大事だよね、という文系の論文の書き方の基本みたいなものです。まぁ、そうしないと文系の先生方というのはネットの炎上商売と同じで世の中は改善することがないから新しい仕事もないし、何もものを言わないから世の中に忘れ去られる可能性がグッと上がります。ああ、私もこのブログを書かないと忘れられるんだっけ。。。閑話休題。
とすると、株主と債権者との間でもそうですが、くだんのお客様の社内の処理、まぁ、当該資産に対する償却とも言いますが、をするにしても、担当者の一言だけでは事実認定するにはどうしても情報が足りないことになります。
もちろん「俺の歌を聞け」、いや、「俺の話を聞け」、もとい、「私のことが信じられないの?ひどいわ。。。」。。。
どれもこれも、なんか大変なマインドセットから来るパワーワードばかりですが、まぁ、なんにせよ、一つの主観的な情報ソースだけに頼ったら危険だというのは、ここまでの流れから言えば納得がいくかもしれませんし、そうなると、出来るだけの情報を集める必要性があるのも納得できるところだと思います。
ということで、このケースにおいてはちょうどとあるVCさんも同じ会社に投資をしていて、人づてにお繋ぎして、互いが互いに連絡が取れないことを確認したのでその先の処理を進められた、めでたしめでたし、って全損だからめでたいわけでもないのですが、それでも、何もできずに留まる(か、見なかったことにして先送りにして将来の担当者が大変になる)よりは処理してその投資から学びつつ、次に進むのは大事なわけです。
いきなり本題に行くけど
くだんの投資家さんに限らず、投資家のサイドに立った時、投資した投資持分や株式、などなどを保有する限りは、その資産の状況を把握するというのはとても大事、なのは言わずものがな、ですが、その状況を把握する、というのはどのレベルまで把握すべきなのでしょう。
流石にF1マシンやコマツの重機のように24時間 365日、位置情報からエンジンの回転数や温度、各パーツの稼働状態や摩耗率、燃料の残量にセンサーによる外的環境情報などなどがひっきりなしにサーバーに送られるほどのリアルタイム情報が必要もなければ、毎晩メンヘラ彼女が「ねー、今何してるの?私のこと考えてない瞬間なんてなかったよね?ね?」とLineで5分おきに問い詰めていくメッセージに、正気と仕事を失いながら、でも丁寧に返事をするようなカレピになる必要も流石にないものの、
- 会社の経営状態(財務状況、特に資金残高と、格好良くいうならばバーンレートとかいって、100ドル紙幣を燃やすが如く、その残高が0に向かって減らしていく原因でもある経費の額と内訳と、それを減速させる売り上げとその回収ペース、同様に、土地や工場、店舗などの固定資産の取得と減価償却、とこれらの費用や資産等への影響、いわば、カネとモノの側面の評価)と、
- 会社の運営の方向性(それまでのビジネスの結果とその反省・修正点、それを踏まえた将来への事業プランとその見込み)を
- 事業体制(それを執行するための人材の採用とその人材配置などの状態、そして離職の傾向とその原因、要は、上記のカネとモノ以外の、一番大事なヒトの側面の評価)
と照らし合わせた評価が定期的に出来ないと、まずいと思いませんか?
え?そこまで見るの?って某所からは言われそうですが、逆に聞きたいのですが、これって会社の価値を決める、この瞬間の体力(資金面でも、事業のための在庫でも)とその成長/後退度合いを図る財務情報と、その事業活動を支える経営資源の理解、そして、その事業価値の持続性と成長への指向性を理解するためには必要ではないのでしょうか。
これって頭のいい人が通うMBA とかいう職業訓練機関あたりで特権(なのかどうかわからない人の集まりと称する)階級へのチケット(もしくはホグワーツの魔法)として習うらしい、企業価値の算出モデルを持ち出すまでもなく、零細企業であれ何かしらの事業をやっていれば(計量的な評価はせずとも)当然に肌で感じるであり、また、これらに問題があれば修正するのが経営者の仕事、なのですが、どうも企業価値の算出モデルのことばかりを考えている人からすると、そういう、企業が何で出来上がっているのかが見えないで一つの側面だけしか見えないようです。
しかも、運のいいことに、これらの情報、特に財務情報と事業の方向性を示す年次・中期経営計画的なものというのは数値として扱えることが出来るからこそ企業価値の評価モデルでその構成要因として取り扱える一方で、そのインプットとなり、アウトプットとなる数値の根拠や出典に対する客観性、妥当性といった、質という話になると、大きな勘違いが起きているようにも見えます。
公正価値評価は投資プロセスの一部に過ぎない
このところ、この手の話で企業価値の算出モデルに対する中立性とか妥当性の話「だけ」がまず問われ(て、その次に高いから使えない、安くないとやっていけない、という安っぽい自己中心的な議論だけで話が歪んで)いるのに対して、その他の根本的なところがあまりにおざなりになっている、もしくは、かなりご都合主義がまかり通っているように思っていたので、投資家さんや監査など「本当に問題に思っている人たち」がどう捉えているのか、それこそ世界中に聞いて回ってきました。
まず、監査というのは、財務諸表が正しく論理的に構成されているか、の検証を行うのですが、その構成方法の一部としての「公正」価値評価というのは、「公正性」というものがどういう性質であるべきか、の視点に変わってきます。言い換えれば、いかにその数値に対する客観性を問えるのか、が重要になるのです。そこで、くだんの投資家さんの投資先の評価の議論に戻ることになるのです。要は、自分一人の主張では公平性や客観性は担保できない、という話です。
根本の議論として、(大阪生まれ、足立区育ち、(上野動物園の)檻の中のやつはみんな友達な)私の育ちが悪いから、だと思いますが、manager’s mark は信用しない、というのが基本にありますし、どうも監査の人たちの職業倫理的にもこちらのようです。まぁ、これは、一般的な投資家も金融機関の(今はほぼ絶滅した)prop desk でも基本として置かれることです。なぜって?金融機関のprop deskを考えてみてください。ポジションを持っているトレーダーが自分で評価した未実現利益をベースで誰がボーナスを払えるというのでしょう。要は、運用する人間と投資家の立場は(いくら未実現とはいえ)成功報酬というかcarried interestを介して利益相反の関係にあるわけです。としたら、ボーナスをもらう側がボーナスの金額を決められるっておかしいよね、と投資家が言って当然なわけです。
客観性の確保と、恣意性の排除
そこでこんな主張が聞こえてきます。いやいや、この数値って投資先が出してきた数値だから恣意性はない、って。うーん、さっきの話聞いていた? SSoT(Single Source of Truth)の概念は大事だし好きだけど、それとこれとは別。その裏付けって証明できる?ならば投資先が評価機関(一応、言葉尻をすぐ取ろうとする人のためにいうけど、この文脈では監査会社を指すからな。)に対して直接提出する方がより信憑性があるし、途中の経路での改竄の可能性をどう回避できる?要は、そういうところを問いているわけですよ。
そのために、投資担当者とその後の投資の管理・評価をする人とを分けることで、投資担当者を投資家との利益相反の可能性から切り離すようにすることをする方法がまず考えられます。他方で、そうなると評価に対して責任を負わなくなるので、投資するだけしてあとは成功しようがしまいが人任せで知らんぷりになる無責任な投資担当者が出てきたり(まぁ、そうならないように、ちゃんと売却益が出るようにexitさせるようにキャリーを渡せるように報酬の制度設計をすればいい訳ですが)、逆にモンペのごとく投資先(とそこから出てくるキャリー)に思い入れが強くなり過ぎて「自分の投資した会社はそんなに評価が低くない」と評価を上げさせようと圧力からハラスメントに至るまであらゆる手段を使ってでもなんとかしようとする危ない奴が出てきたりする(思い入れはさておき、期中の未実現評価がキャリーやボーナス、給与やポジションの昇進に影響しないようにしなければいけない、って当然といえば当然ですが。。。)し、逆に管理・評価担当者はその意味では投資に対して付加価値がないただの事務扱いになりがちなのに手間と投資担当者からの精神的プレッシャーから従事するインセンティブが低くなる(なので、ミドルの給与は下げちゃダメなのよ。本当に。。。)、など、実はこれはこれで社内の利益相反を作り出す不幸な仕組みにもなるのです。
まぁ、こんなmanager’s markにだって、Excelでやるのか、外部モデルでやるのか、くらいの違いは存在するのですが、どちらもソースの方がより大事で、そのExcelだか外部モデルだかで採用される、ホグワーツの魔法をどう使うか(コンプス使うの?え?種別株だからリアルオプション使うの。クールでしょ?なんて)、ってのはより大きな絵で見たら枝葉末節でしかないのです。
一般的な資産評価モデルの1番にあるように、常に上場株みたいに勝手に誰かが売買したものを参照できればこんな不幸なことにはならないのにね。
で、多分みんな知っているけど口に出さないことでも
しかし、未上場株式というのは、そもそも取引が少ないし、自分の持分がそれですぐに売れるわけではないし、というう厄介な代物です。
しかも、不動産同様、隣(の事業)は倍を払ってで買え、という世界でもあ(って、GAFAMから、昔の江戸の商人まで、世界中至る所でそういう、今で言う M&Aなんてのがあ)るので、塵一つどころか空気の摩擦すらないような空間で、どんなに馬鹿でかい恒星の引力も影響しないような無重力状態での物理実験、のような数学の理論だけが機能する、くらい(って、この表現、わかるかなぁ。世の中の福山雅治似の格好のいい物理学者はどんなに頑張っても実世界の(風が吹けば桶屋が儲かるくらいの数次的な間接的影響すら存在する)色々な環境要素と制限に左右されるけれども、数多のドラマや小説などで奇人変人(あ、私が大学時代に所属していた研究室は「幾人会」として、学会の中でも国内最強のアルコール量を誇っておりました!)として描かれる数学の世界の方が、同じように計算式を黒板に殴り書きしても、ただただピュアで純粋な理論だけの世界を見てるのよ、って意味ですよ。)の、理論値で企業価値とやらを計算したところで、買いたい人の価格、売りたい人の価格が折り合ったところでしか売買なんて成立しないのだから、その数値の妥当性って、どこまで行っても、何も将来の価値(どころかこの瞬間)の現金化を保証するものでも何でもないんですよね。
実際、上場株式だって、企業価値の理論値が財務諸表などから算出されてそれに相当する株価の上下でやり取りがされているけれども、何かあればその価格帯は変わる訳ですから、株価 x発行株式数で計算される時価総額という理論値ではない企業価値というのは、結局売買価格が作り出しているし、それが一番、投資家の金銭的興味(これってなんぼ?)でしかない、のも事実ですよね。
その点は未上場株式や(一物四価と認知されている)不動産にとどまらず、流動性が低くなる資産全般に当てはまる訳なのです。なので、IFRSあたりではその流動性の度合いに対して、レベルを設定してその取り扱い方をガイドしているのですが、日本のは。。。会計士でもないただの「幾人」に、あれこれうるさい、と、そろそろあちこちから刺されそうなのでやめておきましょう。
何にせよ、売買という客観性がないところで、資産価値の客観性を持たせるには、という問題が浮かび上がるのです。
そんな中、ヨーロッパの年金から始まった超大手のアセットオーナーたちからは運用会社やGPスポンサーに依存しないように外部の評価機関による企業評価を採用するように求め始めたり、少なくともファンドのアドバイザリーボードで資産評価の説明とその評価方法の承認を大口の投資家が確認して承認する、というプロセスを入れるようにしたりしています。要は、manager’s markはまず信用しないし、間接的であれ自分たちの資産である以上、その評価方法についてある程度一貫性を保ちたい、という意図も働いているのでしょう。
また、超大手プライベート資産運用会社なども外部の評価機関を使うようになりつつあります。これは前述のような社内における利益相反の状態を回避するためには内部でやらないのが一番、という判断に至ったのでしょう。
て、このご利益って誰のため
ここで大事なこととして気にすべきは、ファンドは誰のためにあるのか、という大前提に戻る必要があります。確かにファンドのスポンサーであり運営主体はGPスポンサーです。でも、GPスポンサーが投資が出来るのはLP投資家からの投資戦略への同意と、それに基づく資金提供があっての話です。ということは、GPが自分の思い込みで好き勝手にやっていいのがファンド、ではないのです。投資家から預かった資金を利用する以上、投資家の資産保全は最優先されるべきであり、それは資産の取得後の管理の一環としての資産評価の観点でも当てはまるのです。
でも、それは資産保全、どういうこと意味なのでしょう。
年金さんが一番いい例でしょう。年金受給者の余命平均寿命に基づく将来の年金支給額、という年金の存在理由という名前の債務をこの瞬間において何がその支払い義務の担保になるか、といえば、シンプルに保有する資産です。いわば、単純化するならば、この瞬間に債務たる年金受給が一気に来た場合に、それに対応するには資産を一気に現金化する必要があって、その現金相当になる資産であるかどうか、がリスク管理の観点で、評価額ならば一つの目安となります、よね?(現実的には、将来のある時点にいくら、的に時間軸に沿った払い出しと受け取りのAsset Liability Management の概念がより必要になるわけですが。。。)もしそれを、(年金を預かる信託会社が、信託帳票はファンドから提供された損益分配に基づいて作るしかないから、評価額のない日本のファンドなんて、仮にGPスポンサーが横で時価評価を出したとしても信託銀行の堅物、いや、受託者責任においてしっかりとルールベースで事務をする人たちにとっては、簿価でしか作成できない都合から)取得コストベースでしか評価できないと、本当に現金化した際に受け取れる金額がただただわからない、という問題が発生するわけです。だから、リスク管理の観点で、資金化の目処としての時価評価が必要なのです。
同じことは、年金と同種の性質を持った超長期債務を負う生命保険会社や、短期から長期にわたって様々な債務と資産受け取りが入り混じる銀行さんにだって当然当てはまるのです。実際、未監査の評価情報ですらGPに求めて、リスク管理上の数値として取り込むことを下記に説明する法改正の前から行なってきていたそうですが、これは、海外ファンドがIFRS/US-GAAPで時価評価ベースの数値が与えられてきたのに、なんで日本だけないの?比較できない以上に、困るじゃん、からきていたそうなので、やっと法改正で世界が追いついた、と感じているそうです。
それだって、北米と欧州では評価方法に大きな差があって、あるべきものをあるように評価する欧州と、想定exitに向けて緩やかに上昇して最後に「きゅっ」と売却価格に上方修正して終わるように着地できる北米と、に流派が異なるようです。しかし、後者のようにコントロールされた時価評価の推移って、本当に「公正」なんですかね?
なので、こういった国内外での投資に経験の多い機関投資家になればなるほど、その情報、だけでなく、その情報の質であったり蓋然性にまで(言い換えると、評価値で現金化されればOKだけど、見込んだキャッシュが入らないような、評価額を下回って売却したケースは困るよね?なんとかならない?というところにまで先読みをするし、そういうマネジャーとそういった評価手法や背景を説明できるかどうか、を投資する選別基準にすらする、という次元の議論にまで辿り着くわけです)、目線が入ってくるのです。
そんな投資家ってどこにいる?むしろそれをいらない投資家って?
で、こんな話をすると、自分の周りにはそんな第三者の評価をもってこい、とか求める投資家なんていないんだけど、という声が当然に出てきます。
もちろん、銀行さんによっては、経理処理の延長として、損益が時価評価で財務諸表がブレると決算的に不安定に見えて困るから資産評価がしづらいことで評価損益が出てこないだろう、と思って低流動性資産に投資する、という判断をするところだってあるのも事実です。
いわんや、本業と関係ない投資だから、そこって会社の通信簿である財務諸表の事業評価されないところへの反映を考えると影響がないのでいいよ、という事業会社さんだって、当然にいらっしゃるわけです。
ということは、投資家層のスペクトルを端から端まで眺めてみた時に、統一のニーズがあるわけではない、だから。。。と言って、GPスポンサーがLP投資家のニーズを気にせずに好き勝手やっていい訳でもないのです。
さらにいえば、物事というのはなんでも、法律の方でルールが決められている訳なのですが、一番わかりやすい話をするならば、国内の投資家さんの多くの投資方針を縛り付ける一つは、他ならぬ企業として採用している会計基準、要は J-GAAPと呼ばれる国内の企業が財務活動を記録して計上する会計基準であり、金融商品に投資したら、その商品の評価って、金融商品会計基準に基づいたもの、です。としたら、その投資家が自らの投資をその財務諸表に取り込むために、どのように未上場株式の取り扱いとしてその評価をどうしたいか、に話がいくわけです。
ちょっと真面目な法律の話でもしましょうか。
教科書通りの話をするならば、国内の投資事業有限責任組合は、2025年にこの記事を書いている今、ファンドを新しく立てると投有責会計基準の財務諸表を作ればいいのだけれども、それまでの既存のファンドについては、元々の中小企業等投資事業有限責任組合会計基準の適用があって、これが2023年12月5日に廃止されたことを受けて移行期間にあります。
他方で、次の理由で、金融商品会計基準に基づく二つ目の財務諸表を作らされていています。(アドミやGPからしたら二度手間なんですよね。)
一番わかりやすいところで、この後者の基準は国内の一般的な企業が株から債券から投資信託、果ては組合への投資をして資産に計上する際にどのような評価方法を採用すべきか、という指針を与えているものです。
これによると、有価証券については
- 売買目的の有価証券
- 満期保有目的の債券
- 子会社及び関連会社株式
- その他の有価証券
の4つのどれかに分類する必要があるのですが、ファンドで保有する未上場株式は(正直にいえば)価格の変動による売買価格の差を求めた投資ではあるものの、いわゆる市場性のある株式を意図された「売買目的の有価証券」には該当しなければ、当然満期なんてないし債券でもないから簿価で評価し続けられる「満期保有目的の債券」にもならず、ファンドで間接的に保有するから「子会社」や「関連会社」にもならないので、自然と「その他の有価証券」扱いになります。
で、この「その他」の有価証券の評価益は利益ではなく資本金の部の一部を構成し、評価損は当期の損失として計上、となっているものの、その資産評価は「期末日の市場価格、もし継続して適用できるならばその1ヶ月前からの市場価格の平均」とされているから。。。直近1ヶ月前から取引が発生しそうにもない、市場のない未上場株式にこれが当てはまるわけもなく、その次に書かれる「市場価格のない社債その他の債券以外」に適用される「取得価格」に落ち着くことになるのです。
その横で、「発行会社の財務状況の悪化により実質価格が著しく低下したときは、相当の減額をなし、評価差額は当期の損失として処理しなければなら」ず、これを適用すると「当該時価及び実質価額を翌期首の取得原価とする」ことになるのですが、ここで日本語の問題。著しく低下した時って、どれくらいでしょう。明確な規定がないのが厄介ですよね。とはいえ、不動産取引とかで、20%下がると著しく下がった、というそうなので、経済的なインパクトとしてそれくらいを念頭に置くのがいいのでしょうね。
ということで、アップサイドなし、ダウンサイドだけ取り込みましょう、という低価法が日本のルールだよね、という背景がここに存在することが見えてきます。
ついでに言えば、変更前の中小企業等投資事業有限責任組合会計原則における、投有責契約の雛形にくっついていたが為に市場の標準となってしまった、いわゆる「旧太田昭和モデル」での、25%減、50%減、75%減、全額減の「松竹梅方式」がそこそこ妥当にそのまま使えちゃっていた、というオチでもある訳です。
ということで、2024年までの日本国内、と言う意味での世の中的には法律上求められる監査を投有責会計で行って、投資家である日本国内の企業にしてみれば、参考として渡される金融商品会計基準の財務諸表で取り込むだけで十分、というのがどうも投資家的にも十分だった、ので今まで来ていたのです。
ん?じゃあ、投有責会計基準で作ったものって、何のため?
結構、暴論になる一方で、でもそういう構成になっている過去の事実で言うならば、先ほどの「旧太田昭和」モデルは投有責契約の別紙1として契約書を構成していて、その別紙1をその投有責契約で使用する資産評価モデルとして作成された投有責会計基準で財務諸表を作成し、監査をすれば投有責法としては遵法とされる、という構図が出来ていたのです。一言で言うなら、「時価」=「契約に書いてある評価方法」が「法律の求める時価の算出方法だから」、ということで、LPの投資管理から税務申告に至るまでのプロセスに何のご利益を与えるものでもなく、ただ単にGPスポンサーによる法令遵守のためだけ、です。
としたら、この別紙1を最初から金融商品会計基準で求める資産評価方法にしておけば。。。二重帳簿を作る必要はなかったでしょうし、資産の評価方法をより精緻なIFRSで求める公正価値評価ね、と公認のテンプレに書けばみんながそれに黙ってついていく日本方式で対応したでしょうから、法改正せずとも公正価値評価の導入は済んでいた、のです。言ってしまえば、「時価=契約に書いてある評価方法」ね、と解釈の幅を超広くしていたから、投資家側の取り込みの問題があるから、と二重帳簿を作ることになって事務方の負担を増大させたり、日本って事実上低価法の世界だよね、と海外が嫌がった、などの問題があった、だから、最後だけ拾って海外に日本籍LPSが使われない理由だ、と犯人探しした、というのはものすごく理解できます。
そういう背景を思えば思うほどに、結果的には、今回の改正で、時価=公正価値としつつも、評価方法は契約に書いてある評価方法ね、なんてしたから、GP側は以前からのスタンスである、遵法のためだけに評価方法って何を使えばいいの、という技に溺れる議論に「だけ」目がいく訳です。
他方で、ベンチャーファンドあたりでは常に期待して計上していたアップラウンドによる評価益以外でも公正価値評価によってファンドの資産価値のアップサイドも計上するよね、出来るよね、ファンドのTVPIを未実現で大きく見せられるよね(Yahoo)!ってことですから、引き続き投資家さんにとって最優先である低価法を求める金融商品会計基準にそぐわない訳ですから、二重帳簿は続くよどこまでも、ってことです。
いつもように、不都合な真実でも
ま、これは常に世の偉い人たちによって世間から抹殺される私らしい、いつもの発言なのですが、海外の投資家がIFRSやUS-GAAPで取り込む都合上、資産評価を公正価値評価にしたら、(日本語を読めず、ということは日本の根拠法に対して理解をしないしケイマン諸島のファンドのように慣れ親しんだ法律との違いとそこから生じるリスクを分からないままに)投有責ファンドに投資するのでは、と資産運用立国という国の方針を踏まえて動いたのでしょう。現実問題、一つの問題が解決しても、状況は変わることはありません。
そもそも、どこまで行っても投有責会計基準は IFRSでなければUS-GAAPでもありません。さらにいえば、ケイマン諸島では許容している、J-GAAPですらないのです。
ちょっとだけ細かいことを言えば、IFRSや US-GAAPにおいても、公正価値評価すべきは資産だけでなく、負債もなのです。(他にもそのままプラグインできない事情はありますけど、いつもお金が取れるくらいのことをただで喋りすぎる、と最近たしなめられているので、それは今回は書きません(笑)知りたい人は有料ブログで、なんてケチなことは言いませんから、ご連絡ください。一緒に飲んで、その時にでもたっぷり話しますよ。)そのような会計基準で監査されたものをIFRSやUS-GAAPの財務にはそのまま取り込めないし、その監査を依拠して監査意見を出せ、は監査人だって無理なので適正な監査意見のないファンドになってしまうから投資できない、というものです。
無論、この時点でもそれでも投資している海外投資家はいらっしゃいます。でも、正しく理解して投資して、監査と意見を交わす、という時間と労力を使っている人がいる、というよりは、その巨大なプールに対して監査でも気にならない程度に「著しい」影響を与えない割り当てにとどめているから、の可能性が高いでしょうね。その後のFATCA/CRSなどの対応って大丈夫ですかね。あ、閑話休題。
と言うことで、ただ単に徒労に帰しただけでなく、ただでさえ、バックオフィスやミドルオフィスの人材に誰も投資もしない(で、投資担当者ばかり増やしてきた)運用業界に、さらに事務方の仕事を増やして労働時間と負荷だけかけた(どこかの頭がいいと思っていらっしゃる誰かさんの)自己満足に終わった、だけです。
もっと根本に戻ろうよ。結局公正価値/時価評価の目的って何だっけ
こんな私にしては、無茶苦茶綺麗事を言いますよ。
もちろん、前述の通り、国内でも資産価値の時価評価がされて、本来の時価のいうところの「将来受け取れるだろう価値の公正な見積もり」に基づく額で評価されたら、年金や生保のような長期でのALM(Asset and Liability Managemet)に利するから、ポートフォリオのリスク管理の精度が上がるからご利益あり、とは言えるでしょう。銀行だって、リスク資産管理の観点からより精緻にオンバランス上の資産を踏まえての負債管理(預金者に対する払い戻し準備)やBoJに対するより精緻な報告が出来るでしょう。
でも、たとえば上記の機関投資家のスペースであっても、政策投資とか戦略的投資と呼ぶような、自らの事業との親和性のあるものへの投資であったり、R&D目的でのコーポレートベンチャー投資の場合はどうでしょう。資産価値の増加よりも事業への還元を求める投資ですから、(もちろん、ゼロになって嬉しい人はいませんし、そんな投資結果になったなら、そのプログラム自体を承認してその運営チームを選んだ稟議と担当者の資質をまず問うべきですが)リターンより協業や買収への可能性といった、投資先に関する情報収集や経験値を積む、という側面の方がより優先順位が高いところにあります。
他方で、これらの投資家サイドの共通の問題として存在する、リスク管理への対応、経理取り込みや税務対応への負荷がどれだけかかるか、が(特に同種の投資戦略、投資スコープとなって比較されるときに)投資するかどうかの判断材料にすらなり得るのです。
さらに、個人投資家に行けば、目的はさらに広がります。スタートアップ支援から、(上場株の投資の言い訳としてよく使われる)好きな企業の株主になって後押しする(って、もう、お布施払ってなんぼの推し活と変わらないですよね。社会を動かしてくれているので敢えては止めませんけど。)、そして当然、稼いでなんぼ、まで。極論、時価情報でリスク管理するよりも、「増えたー」と1秒くらい喜んでおしまい、あとは時価で増えたかどうかは関係なく、確定申告のための情報が来れば十分、です。
としたら、です。
公正価値評価の実装をどうするか、は、監査がなんというか、ではなく(監査だって、合理性のある説明と情報を提供すれば監査方針の調整は出来るのです。ただし、それは、ポートフォリオの数が多くて、でもマイノリティだから情報の取得に限界があるから無理だから、泣くので勘弁して、は合理的でもなんでもない、のです。むしろ、このポートフォリオのこれだけの銘柄群については投資ステージが若すぎる一方で、投資期間が浅すぎることからまだ事業の拡大どころか売り上げすら見込めるわけでないので取得価格でも評価としては妥当、といったより論理的な説明を自らがそれぞれの企業に対する理解の解像度を上げて行う、ことの方がより説得力を生むようです。ととある会計士の偉い先生が言っていました。)、自分の活動費となる運用報酬を払ってくれる投資家がそこにどれだけの価値を見出すか、に合わせて考える方がより現実的であり、運営上のさまざまなコンフリクトを減らすことが出来るのです。
そして、その実装は、ファンドの商品として設計の基幹となる話です。ひっくり返した言い方をするなら、投資戦略に基づく投資チームと投資基幹中のモニタリングのためのチームを作るにあたって、その人材配分とプロセス構築はファンドの商品性と最終的な投資家への報告までも考えて行うのであって、もしチームがこれだからこれしか出来ません、なら、その質のアウトプットに報酬を支払える投資家さんとしか働けない、ということなのです。
ただ、そうなると、国主導で、世の中で言われている、もっと投資家さんを増やして、受任資産残高を増やして、という「ビッグになりたい」欲は満たせませんよね。それをするには、より大きいサイズで、より経験値の高い投資家と一緒に投資をするほかはなく、そのためには、その投資家の求めるルールで投資するしかないのです。その意味で言えば、投資機会を提供してあげている、のではなく、投資資金を使わせて頂いている、に根本を変えないといけなくなります。それを世の中では他人様のお金を預かるときの責任、フィデューシャリーデューティーって呼ぶのですが、結局のところ、ファンドを立てて、運営して、お金を預かって投資して、回収してお返しする、って一連の行為に、途中経過の報告が(その次のファンドに投資してもらえるか、を含めたらさえらに)とても重要で、その質をいかにして担保するのか、の中で、数値の質についても、第三者性にも色々なレベルがあり、そこには求める人のご利益にあった、商業的費用対効果のある、持続可能性のある実装が必要、ということに尽きるんですよねぇ。
ま、one-fit-allな答えがある、は洋の問わず、またいつの時代にも、(最高であるかどうかはさておいても)詐欺師が使う口上ですが、どう見たってここにはなさそうです。もし投資家にとって(もちろん、メンヘラ彼女にとっても、でしょうけど)最高の詐欺師くらいになりたければ、ターゲットをしっかり絞って、相手を理解し、その求めるものは合法な限りで全部叶えてあげる他は無い、ということです。
お後がよろしいようで。

コメントを残す